神在祭・神等去出祭

神在祭-かみありさい-

 古来、全国では旧暦十月を神無月(かんなづき)といいますが、出雲では神在月(かみありづき)と呼んでいます。全国の八百万神が出雲に集まられ、国家安泰、五穀豊穣、縁結び等の神議(かみはかり)をなさるからだとされます。 八百万神は、出雲大社、佐太神社など出雲国の複数の神社に滞在のうえ神議をなさいます。万九千社においても、旧暦の17日から26日までを「神在」もしくは「お忌み」と称して、神在祭を齋行しています。

神迎えとお忌み入り

 まず17日の早朝、神迎えにあたる龍神祭(りゅうじんさい)を、宮司一人が、神社近くの斐伊川の水辺で秘儀として(非公開の神事として)行います。そして、神籬(ひもろぎ)にやどられた神々を神社へとお遷(うつ)しします。この日をお忌み入り(おいみいり)と呼び、以後、境内周辺では、奏楽をはじめ歌舞音曲の一切を禁止します。以後、祭場の静粛と清浄を保ちながら、26日の例大祭、神等去出祭を迎えます。大祭前夜の25日には、神職のみの前夜祭、そして大祭前夜に宮司等が社殿内に寝泊まりする「お籠もり」を行います。

 26日は大祭で、「万九千さん」「からさでさん」と呼ばれ親しまれています。八百万神が集い給う御社頭(ごしゃとう)には、県内外から多くのお参りがあります。殿内では一貫して静粛と清浄を旨とし、僅かに神職のふる鈴の音が響くのみですが、その静かな御神前において様々な御祈祷を行ないます。

 この旧暦10月の1日から神等去出祭の翌日まで、明年の吉兆を占う「神在みくじ」を催行します。

 

 

 

神等去出祭ーからさでさいー

 26日夕刻、まずは、宮司家伝来の神楽を伴う湯立神事が境内に忌み火で湯釜を沸かして行われます(平成29年再興)。これは、神々の旅立ちを前に、祭場、祭員、参列者はもとより、神々と人々の前途にまつわる全てのモノ、コトを清々しく祓い清めるものです。そして八百万神の御神威が弥栄に栄え益すことを祈ります。続いて浄闇の中、御神前では、八百万神に出雲からのお立ちの時が来たことを奉告する「神等去出神事」(からさでしんじ)が厳かに行われます。神事では、宮司が幣殿の戸を梅の小枝で「お立ち」と三度唱えながら叩く特殊な所作をします。近世の記録や伝承によれば、この神等去出祭は、かつて神社の南方約数十メートルの地点にあった、屋号「まくせ」と呼ぶ民家の表座敷で湯立神事を伴うものだったとか、古くは社頭の東南に仰ぎ見る神名火山(現仏経山)の麓で火を焚いて神々をお送りしたとも伝えられています。

 

神在みくじ

 出雲に集う八百万の神々を、万九千社を通して拝礼しながら、かつて稲作の吉凶を占った方法で明年の吉兆を神占いする神事です。受付を済ませた参拝者は拝殿に上がり、お祓いを受け玉串拝礼をし、心静かにみくじが上がるのを待ちます。お下がりとして、2種類のみくじや御札、ご希望のお守り、神在月限定の御神酒などをお分かちしています。

 かつて「御種組(おたねぐみ)」と呼ばれた稲作の吉凶占いの神事は時代の変化と共に無くなってしまいましたが、占いの方法はそのままに、占う内容を現代の事柄に置き換えた「神在みくじ」として、先人たちの祈りの形を今に伝えています。

 

神々の直会と旅立ち

 この26日の晩、神々は当地において直会(なおらい)と呼ぶ酒宴を催し、明年の再会を期して、翌朝早くいよいよ各地の神社へと帰途につかれます。鎮座地周辺の地名「神立」(かんだち)はこれに由来します。地元では、古くより神在月における神々のお立ちを「からさで」と呼び慣わしてきました。この日は、何故か大風が吹き、雨や雪、みぞれもまじる荒天になることが多く、「お忌み荒れ」とか「万九千さん荒れ」とも呼ばれています。人々は、北西の季節風が吹きすさぶ、晩秋から初冬への厳しい季節の移り変わりに、神々の去来(きょらい)と神威の発揚とを実感したのでしょう。からさでの夜、地元では境内を覗いたり、外出したり、大声を出したりすると神罰があたると恐れ慎み、寝床について静かに神々をお送りする風習が伝えられてきました。しかし、こうした目に見えぬものに対する畏敬の年も年々薄らいでいくようでいささか寂しい気がします。

 なお、当社ゆかりの神在祭、神等去出祭の伝承に基づいて、近くの斐伊川にかかる国道の橋名が、「神立橋」、「からさで大橋」と命名されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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